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武田尚子のご挨拶

ブックリストでごらんいただけるとおり、私は長い間、英語から日本語への翻訳の仕事をしてまいりました。翻訳とは、語学力,一般教養はもとより、非常な忍耐力も要求される仕事です。翻訳者にとってさらに重要なのは母国語の感受性であること、また作品によっては感情移入をし、役割を演じる俳優の仕事にも似た楽しみを与えられることなど、体験を通して学んでまいりました。

多くの良書に恵まれ、作者や登場人物の心に触れて友達になり、一冊ごとに本気で肩入れして、泣いたり笑ったりの日々を重ねたものです。家庭を持ち、幼い子供を育てながらも、家にいてできる、自分の資質にあった最良の仕事であったと思います。しかも書物の翻訳は、そのプロセスで異文化に深く触れ、学べるだけのものはすべて吸収させてくれた上に、努力のあとを本という形で残してくれます。翻訳は私にとって挑戦でもよろこびでもありました。

メイサートンの‘Journal of a Solitude’に出会ったのは、八〇年代のなかばだったかと思います。友人の詩人が、ぜひ読んでごらんなさいと贈ってくださったこのジャーナルの美しさに惹かれ、折から、ある学術書の翻訳はどうかと聞いてくださったみすず書房の栗山さんにおすすめしたのがきっかけで、その後一〇年以上もサートン作品の翻訳をすることになりました。 ‘独り居の日記’は初版から数ヶ月以内に再版が出、これまでに一四刷が重ねられています。‘夢見つつ深く植えよ’、‘猫の紳士の物語’、‘一日一日が旅だから’も何度か重版になっていて、メイ.サートンの名は日本の読書界ではよく知られるようになりました。東洋の美を愛された生前のサートンさんも、日本での成功をとても悦んでいられました。私自身も、この繊細かつ強靭な詩人、小説家サートンの紹介者となったことを光栄に思っています。

しかし2001年のサートンの選詩集を最後に、個人的な事情で私は翻訳から遠ざかっていました。けれどアメリカ暮らしにも慣れ、いろいろのことが落着してみると、わが持ち時間はあまり残されていないことに気づいたのです。なによりも、私自身のアメリカ体験を中心に、記憶に残るできごと、浮かんでは消えてゆく日々の想いを、自由なエッセーとして書いておきたい。友人のすすめで、ホームページを作るという試みに踏み切ったのはこんなわけでした。長短さまざまのエッセーは、新しいものを加えてゆきますので、時々ぜひご覧ください。

   英文科を出たばかりの私に、若者を育てようと次々と訳出の大任を与えてくださった元サイマル出版会の田村社長、日本にはまったく知られていなかったサートン作品の出版にこだわり続け、ついに出版の決断を得てくださったみすず書房の栗山雅子さんに、この場を借りて、深くお礼を申し上げます。