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ISBN4-7503-1460-9 チャールズ.シルバーマン著 武田尚子訳『アメリカのユダヤ人』明石書店.2001年 サイマル出版会の退場によって絶版となるはずの本書が、明石書店の手で再び陽の目をみることになったのは、訳者の大きな喜びである。本文はサイマル出版会の訳書をそのまま踏襲したものではあるが、訳者まえがきの一部を、より今日にふさわしく書き加えた。本書の内容については、この訳書リストのサイマル版を参照していただきたい。 ISBN4-622-04814-0 メイ.サートン著 武田尚子訳『一日一日が旅だから』みすず書房.2001年 この小さな詞花集は、五百編をはるかに超えるメイの詩作のごく一端をうかがわせるに過ぎない……しかし日本の読者の大きな共感を得た、自然に対して繊細な感応をみせるメイ。情熱を傾けつくして恋に生き、恋に酔い、やがて失恋の痛みから立ち上がっては、それを詩に変えてしまう不適な魔術師。恋するほどに母を愛したメイの喪失の悲しみ。父の死ではじめて両親から解放され、大人の女になったというメイの、自らの出発への祝賀文にも似た父への弔辞。老年という新しい挑戦にとまどい、寂寥と至福のはざまをゆれながらも、不死鳥であり続けようとしたメイ。断片的ではあるが、生涯のさまざまな時期における詩人サートンの心の歌を、この詩集はお贈りする。みずみずしい叙情と、流砂に足をとられそうな絶望の中からも立ち上がるサートンのスピリットは、この詩集を一貫して流れる通低音だ。小説家であり、回想記やジャーナルの作家でもあったメイ.サートンは、自分は何よりも詩人だと定義していた。本書は読者を、さらに深く広いサートンの世界への旅にみちびくことだろう。 ISBN4-622-04511-7 メイ.サートン著.武田尚子訳『海辺の家』みすず書房.1999年 サートンは住み慣れたネルソンの独り居をあとにし、メイン州の海辺に移った。老境を自覚する彼女の、またしても新しい人生の冒険である。一筋の光、ひとひらの雲、かすかな水のささやきにおののくメイは健在だ。しかしここでは「人生をもう一度ときめかせてくれるだろう誰かと、この住まい、この土地に感じる喜びを分かち合うのはどんなにまれであるかを思い知るのだった」と愛人の不在を嘆き、予告なしの訪問者に仕事のテンポを乱されると、必要以上と見える反応をしては後悔のほぞを噛む……芸術家としての焦燥や老年の不安、均衡を失いやすい気質から来るぎくしゃくしがちな人間関係を、悩みつつ、よろめきつつ生きながらも、サートンはいくたびかよみがえる。よい意味でも悪い意味でも、きわめて人間くさかったサートンの素顔はこれまでのどの作品よりも顕著に「海辺の家」にあらわれている。青い花の開くような黎明、潮騒の音に慰められ、励まされる日常をえがいた美しいジャーナルである。 ISBN4-622-04653-9 メイ.サートン著.武田尚子訳『私は不死鳥を見た』みすず書房1998年 自伝のためのスケッチ」として書かれたこの回想記は、四十歳を過ぎて間もないメイ.サートンの、壮年期の活力に満ちた作品である。メイの両親の成長期だった一八九〇年ごろにはじまり、シェイデイヒルの学校生活からヴァージニアウルフの死のニュースに接した一九一四年までを描く。戦争と恐慌にゆさぶられてなお、ホイットマンの理想主義が生き、ロシアの実験と呼ばれた社会主義が高校生のメイにも新しい社会を夢見させ、基本的には人間性の善に信のおかれた時代。その中でメイは成人し、女優になり、劇団の主催者として資金を調達し、その運営に行き詰まった後、作家としての自覚に到達する。これはメイの青春放浪記でもあれば、自己発見の記でもある。ひと癖もふた癖もあることが魅力になっているようなさまざまな人物が登場して、忘れがたい足跡をメイの人生に刻み込む。この回想記を彩るそれぞれに華やかな人物群を活写するメイの筆は冴え、いったん読み始めると本をおくことが容易でない。各章が魅力とエネルギーにみちたこの回想記を、訳者はちゅうちょなくサートン最良の一冊と呼ぶ。 ISBN4-622-04606-7 アハロン.アッペルフェルド著 武田尚子訳『不死身のバートフス』みすず書房.1996年 「戦争が終わり、死がその翼をたたんだとき、生きることは突如としてその目的を失った。悲しみが、鉄蓋のように生き残った者たちに覆いかぶさり、すべてを封じ込めた。戦争中には誰にも見ることができず、見ようともしなかった現実が赤裸々な姿を現した。われわれに残されたのは、自分のほか何もなかった」(アハロン.アペルフェルド:絶望を超えて) ホロコーストとは、それを生き延びた人たちにとって、肉体に刻まれた痛苦の歴史に過ぎなかったのだろうか。死の恐怖が去ったとき、彼らは救われた生命を新しい生活に向って、意気高く捧げることができたのだろうか。 解放後二〇年を経て、いまだにホロコーストの記憶にさいなまれる男の精神の深淵が、極度に切り詰めた文章の行間から伝わってくる。解放後の難民救出作戦では‘不死身のバートフス’と英雄視された男の、精神の再生への模索を描いたユニークな一篇は、読者をゆさぶり、ホロコースト理解への新しい目を開かせるにちがいない。 ISBN4-622-04703-9 メイ.サートン著 武田尚子訳『猫の紳士の物語』みすず書房1996年 サートンのユーモア感覚が遺憾なく発揮された、大人と子供のための動物小説の白眉。自ら望んで家出した猫のトム.ジョーンズこと毛皮の人は、窮境にあっても紳士のプライドを絶対に失わず、容易でない漂泊の日常にも「安逸の夢におぼれて独立を失うようなまねは絶対に禁物だ」と自戒する節操の持ち主である。この気位の高い猫が、二年の街猫暮らしに倦み、猫の人格の尊厳を理解し重んじてくれる人間との共生を求めてのさすらいのうちに、自らの詩才を発見し、力よりも優しさが上位だという哲学を打ち立てる。彼のユニークな日常訓は、ついに猫の十一戒に結実した。感じ、考える詩人猫の内心の表白は、笑いのうちに、動物と人間のかかわり方をも考えさせる。文句なく面白い。 ISBN4-622-04597-4 メイ.サートン著 武田尚子訳『夢見つつ深く植えよ』みすず書房.1996年 世間の喧騒や情報の氾濫を逃れて、静かな未知の土地で新しい出発をしたいというのは、現代人の大半が一度は抱く夢ではないだろうか。それを実現させたサートンは、広大な土地を手なずけ、根を張り、新しい住まいを創造のねぐらにするための不安と興奮に満ちた明け暮れを、細やかに、のびやかに歌い上げる。 これはニューイングランドの片田舎の、まだまだ未開の土地の残されたコミュニテイを背景にくりひろげられる、自然と人間の交響詩だ。中でも農夫、パーリーコールや、時折手助けに来るミルドレッド.クイグリーなど、きびしい風土に生え抜きの屈強で心優しい人たちとの交流は、知識人の世界しか知らなかったサートンにとって、目を見張る新しい息吹だ。作品への祈りをこめ、中年を過ぎた人生に花を開かせようと、万物のいのち芽吹く春を夢見つつ、サートンは今日も土深く球根を植える.... ISBN メイ.サートン著 武田尚子訳『今かくあれども』みすず書房1995年 サートンは若いときから老年について考え続けてきた。それは彼女が一生敬愛したベルギーの詩人、全盲になっても強靭に典雅に生きぬいたジヤン.ドミニクや、シェイデイ.ヒル校のさっそうたる不死鳥の老年に強く印象づけられていたためだろう。 この作品でサートンは、名もなく年老いた人たちの、老人ホームでの最晩年を描き、人の尊厳を顧慮する余裕もないホームと、家族の暖かさからほど遠い晩年を送る人々の双方を支配する貧しさ、そこからくるあらゆる人間的なものの剥奪を憤る。「年をとるのはすばらしいことです」と語って、かつては聴衆をわかせたサートンの老年へのロマンチックなあこがれは、老境という異国を旅する人の、新しい現実への挑戦に変わる。静かな内省にみちたサートン作品の中では異色の、きわめて劇的な小説として成功した珠玉の一篇である。 ISBN4-622-04545-1 メイ.サートン著 武田尚子訳『独り居の日記』みすず書房1991年 この作品で始めて日本の読書界に登場したメイ.サートンの独り居からの呼びかけは、さまざまな形の独り居に生きる多くの日本の読者の心に届き、本書はすでに一四刷を重ねた。多数の著作も邦訳出版され、サートンの名は読書人には親しいものになった。 両親を失い、恋人との愛の破局を予感し、同性愛のために大学の職を追われ、さらに作品の不評のために失意のさなかにあった中年のサートンが、未知の土地で踏み出した日々をつづった『独り居の日記』は、生活者サートンと芸術家サートンの肉体と精神の記録であり、時にはその調和が、時にはその葛藤が語られる...永遠なるものに思いをひそめるサートンの高邁と、生活の不便をかこつ卑小な瞬間のサートンのミックスでもある。話題は自然界、芸術、愛、フェミニズム、同性愛、老年、生と死、友情、政治、社会問題など、詩人の生涯の関心事のほとんどに及んでいるが、『独り居の日記』に反復されるもっとも重要なテーマは「孤独」である。孤立に伴う懊悩はないわけではない。しかしサートンが語るのはむしろ、内面を充実させる、創造の時空としての孤独である。さらに、自分を発見させ、自己と他者を真のコミュニオンに導くものとしての孤独が語られるのであり、「孤独』という日本語の持つ、感傷的なニュアンスからはほど遠い... サートンの代表作と目されるこの作品は、おそらくこれからも、読者の心を動かし、独り居の寂寥を内面の充実にかえ、身辺の祝福に新鮮な目を見はりながら、より豊かに生きる勇気をあたえてくれることだろう。 ISBN べテイ.リフトン著 武田尚子訳『子供たちの王様』サイマル出版会1991年 一八七八年ポーランドに生まれたユダヤ人、ヤヌシュ.コルチャックは、医師であり、教育家であり、高名な作家であり、子供たちのためのラジオおじさんでもあった。約束された輝かしい未来を捨て、ワルシャワに『孤児の家』と『われらの家』を作り、孤児たちと生活を共にした。二つの孤児院で実践された大胆な教育は今日見ても新しく、残された膨大な著作は、彼の教育理念と子供たちへの情熱を伝えて余りある。一九四二年、彼は孤児たちとともにナチスの犠牲となり、トレブリンカの強制収容所に消えた。自らを救う機会は何度となくあったが、彼は子供たちと最後を共にして勇気と慰さめを与えてやることを選び、尊厳をもって彼らを死に向わせた。収容所へ彼らを送る家畜車に、整然と並んで静かに歩み入る子供たちを統率するコルチャックを見て、ナチスの将校は思わず敬礼したという。『虚構であれ、実話であれ、私は本を読んでこれほど感動させられたことはない。』というフランクリン.リッテルの評はそのまま、訳者ほか多数の読者の声を反映している。ヨーロッパでコルチャックの生涯は伝説となり、アンネ.フランクの名とともに、広く知られている。 ISBN チャールズ.シルバーマン著:武田尚子訳『アメリカのユダヤ人』サイマル出版会.1988年 著者は「教室の危機」「犯罪暴力、犯罪正義」などで広い影響力をもったスカラー.ジャーナリスト。彼はアメリカユダヤ人のオデッセイを描いた本書で、アメリカの複数主義、民主主義が、アメリカに移民したユダヤ人を長年の偏見と差別から救い出し、今やユダヤ人はアメリカ社会の主流に入ったと高らかに宣言する。歴史をつらぬく反ユダヤ主義の迫害にのたうち、うめきながらも、生き抜いて人類に大きな遺産を残した卓越したユダヤ人たちの肖像、また新天地で活躍するアメリカ.ユダヤ人の真摯な姿に心をうたれない人はないだろう。ユダヤ人に対する多くは悪意に満ちた通説を見直させる、力こもる作品である。 ISBN ヨリック.ブルーメンフェルド著.武田尚子訳『ジェニーの日記』サイマル出版会.1984年 本書は核戦争に生き残ったある女性の、悪夢の生存日記として書かれた。本書の出版当時、世界は地上の生物を五回も死滅させることのできる、ほぼ五万個の核爆弾を所有していた。仮に一万メガトンの爆弾が投下されれば、その風下およそ数十キロから三千キロの範囲では、人間は即死こそ免れても、放射性降下物、つまり死の灰によって原爆症やその後遺症による被害を受ける。本書に描かれた核戦争後数ヶ月の死の世界ーシェルターを出たジェニーと、自家用車の中で骸骨と化した夫との再会...放射能を受けたクモがせっせと張りめぐらす、いびつな形のクモの巣。落ちた毛を集めてかつらを編もうとる、脱毛した女の姿などーのイメージには、背筋を寒くさせる恐ろしさがある... ソビエト連邦の崩壊で、米ソの対立は消え、世界は核戦争の恐怖から解放されたかに見えた。しかし皮肉なことに、本書の出版当時より核兵器の保有国は増え、そのうえイランや北朝鮮のように、それを使う可能性を持つ危険な国が登場した。しかもテロリズムの脅威の支配する現在の世界では、核兵器がテロリストの手に渡り、使用される可能性は現実になった。 核の恐怖は本書の出版当時より、ある意味でよほど緊迫してきた。起こらなかった歴史の1ページとして、忘れ去れ去られたかに見えた核シェルターを見直す人もでてくるだろう。本書は、二十一世紀を今生きるわれわれ一人ひとりが、核兵器、ひいてはテロリズムの問題を熟考することを強いるだろう。 ISBN ジョージ.デニスン著 武田尚子訳『学校ってなんだ』サイマル出版会. 1977年 本書は、『豊かな社会』の進展に伴う教育人口の爆発的増大、それに対応しきれない教育制度、そこから生まれた教育の質の危機と、それへの反省という、六〇年代に始まるアメリカの教育改革運動のいわば先駆をなすものである。ベトナム戦争に青年は反抗し、物資の豊かさが冷戦や核兵器の暗雲を追い払う役にはたたず、テクノロジーのもたらす非人間化や環境汚染が、アメリカの理想主義に強い疑いの目をむけさせるようになっていた。多くの学校は教育という名の非人間的な工場に変わり、都市や田舎の貧しい子供たちは、公立学校から脱落していた。 著者デニスンはこうした社会状況を背景に、ニューヨークに児童数二三名の私立のミニスクールを作る。黒人とプエルトリコ人と白人が雑居し、殺人や強奪事件が日常茶飯事で、大半の住民は生活保護家庭という都市の貧困地区のただなかに登場したこの学校の生徒の多くは、地元の学校をたらいまわしにされた、札付きの乱暴者や落第生だった。彼らは学習不能なまでに傷つき、自信を喪失し、すでに自分を社会の異端者、もしくは落伍者と見ていた。しかしいったん大家族に似た小さな学校で教師の個人的な関心と表現の自由を与えられ、無名性の不安から解放された子供たちが、どんなに目覚しい進歩を遂げることか...フランス、ドイツ、スペイン、ポルトガルなどでも訳出された本書は、それから三〇年、依然として困難な教育環境に悩むアメリカでも、共通した多くの問題を抱える日本でも、今読んでなお新しい示唆に満ちている。 ISBN ノーマン.モリス著 武田尚子訳『テレビと子供たち』サイマル出版会.1972年 テレビが子供たちに与える影響についての親たちの憂慮をよそに、テレビは全世界の家庭に居座ってしまった。原著は一九七一年刊行の、アメリカのジャーナリストによるテレビの子供に与える影響についてのパイオニアの一冊である。 著者はこの本で、精神や肉体へのテレビ経験の効果、テレビ画面が知らず知らずに教え込んでいる価値観、テレビを通して得る知識の質など、われわれが確実な知識を持たない問題を解明する試みを通して、一人の親あるいは教師、視聴者が、テレビを子供にどう与えたらよいか。一人の番組制作者が、スポンサーの支える民間テレビという自由競争のメカニズムの中で、子供のためにできることは何か、また番組スポンサーおよび電波の送り手としての企業は、利潤の追求と社会的な責任をどう両立させるかを追及している。テレビの罪悪を数え上げるよりも、それをより有効なメデイアにするための具体策を求める姿勢は大いに評価されてよい。 ISBN ルイジ.バルツィ―ニ著 武田尚子訳『イタリア人』弘文堂.1965年 話術のうまい、博学の瀟洒なイタリア紳士が、赤々と燃える暖炉の前でキャンテイ酒を傾けながら、鋭い風刺やユーモラスなエピソードを交えて、イタリアとイタリア人についての四方山話をするー「厳粛かつ機知横溢、学問的な深さと縦横の才気を感じさせる」「優美さとユーモアを兼ねそなえている。イタリアとイタリア人を愛する人にとって見逃せない」など一流紙の相次ぐ賛辞とともに、あまりにも率直なイタリア分析に、「母国の恥部をさらけ出した」と抗議するイタリア人も多く、当時の読書界の話題をさらった。 話題はイタリア社会、政治体系のかなり高度な分析から、ファッション、建築の美学、食べ物や山師の話、教会の内幕、出世術、さては、イタリア男の恋の駆け引きや、世界に冠たる娼婦の手管にいたるまで、広範多岐にわたっている。集団的な協力がもっとも苦手なイタリア人の間に、なぜ全体主義ファシズムが登場し、独裁者ムッソリーニが史上空前の人気を集めることができたのか。宗教、学問、芸術、あるいは政治の分野で桁外れの巨人を生み出しながら、イタリアはなぜ国家としてあれほど弱体でなくてはならなかったのか。イタリアにはなぜ名誉という言葉が存在しないのか。など、母国を解剖する著者の筆は、章を追うにつれて冴えてゆく。著者はイタリアの主要紙,コリエール.デラ.セラの記者。「正直な批評家ならば、この本はただ読みたまえの一語につきる。」ワシントンポストの書評である。 「残念ながら出版社の事情で絶版になった本書には、復姓前の訳者の名が記されていることをお断りいたします。武田尚子」
ISBN4-7503-1460-9
ISBN4-622-04814-0
ISBN4-622-04511-7
ISBN4-622-04653-9
ISBN4-622-04606-7
ISBN4-622-04703-9
ISBN4-622-04597-4
ISBN
ISBN4-622-04545-1